2005年07月26日

招客必携 そのあとがきから

伊藤文:著.jpgこないだ紹介したマニアックな本。招客必携。
グリモ・ドゥ・ラ・レニエールによって書かれてますが、
あとがきは、訳者:伊藤 文さんによって書かれています。
本書の内容とは別に、グリモとその背景などの話が書かれています。

2003年2月、ブルゴーニュのレストラン「コート・ドール」のシェフ、
ベルナール・ロワゾー氏が亡くなった。
ミシュランやゴー・ミヨなどのガイドブックの評価が下がることを恐れてか、
自ら命を絶ってしまったのである。
1803年、史上初のグルメガイドブックとして「食通年鑑」が生まれてから、
ちょうど200年を迎えての出来事であった。

「食通年鑑」は、グリモが初めて書き上げた食に関する著書である。
それは、人類初の”美食文学”であり、”ガストロノミー批評”でもあった。
それまでフランスに存在しなかったのが不思議であった。

この偉大な本が生まれたのはまったくの偶然といってもいいかもしれない。
出版社に勤めていたグリモの友人が、フランス人の読書離れを嘆いていた。
食べることにばかり関心を寄せる人々に本を読んでもらうには。
この答えが「食通年鑑」になったというのだ。

爆発的ベストセラーとなった「食通年鑑」。伊藤文:訳.jpg
それまで存在しなかった、店の評価という新しいステイタス。
グリモのもとには食べきれないほどの食料品が送られたという。
店からの賄賂、と言ってもいいかもしれないが、それをも評価に反映し、
「食通年鑑」は出版され続けた。
料理人同士が切磋琢磨する機会を与え、フランス料理を活性させる。
それからおよそ100年のち、1900年に発祥するミシュラン・ガイドと、
そっくり同じあり方をグリモは作ってしまったのだ。

もともとは演劇ジャーナリストだったグリモ。
その諷刺的、毒舌な筆致で名を知られていたのだが、
料理の世界でも同じ作風であった。
(ナポレオン・ボナパルトは味覚音痴だ、とグリモは前々から嘲笑していた節があったり。。。)
そしてこれはそのまま、グリモの美食批評家としての生命を短くしてしまった。
特定の店への度を越した批評は数々の訴訟を呼び、ついに「食通年鑑」は廃刊となる。
その後引退したグリモは、1837年その生涯を終えるまでパリ郊外で静かに晩年を過ごしている。

美食文学者 ブリア=サヴァランにも影響。。。
posted by koji at 12:02| 東京 🌁| Comment(1) | TrackBack(1) | フードコラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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