2006年02月03日

長い長いワインの歴史

前回の続きからですね。
ルネッサンスが続き、
大革命の時代が過ぎ去りました。
その頃のフランスの情勢は、違う歴史の勉強になりますね。
では、ワインの歴史としては、
どのような変化があったのでしょうか。

大革命によって、貴族や教会が持っていた多くのぶどう畑は、
「平等」の精神のもとに分割されるようになっていきます。
さらに、競売や遺産相続で細分化されていきます。
これが最もよく現れている地域が、ブルゴーニュ。

ぶどう畑を「クリマ」と言うそうですが、
ブルゴーニュにはこの小さなクリマがモザイク状になって、
多くの人の名義で所有されていると言えます。
ですが、それぞれの畑だけではあまりに小さな規模でしかワインが造れません。
ブルゴーニュによく見られる特徴として、
ネゴシアンの存在があります。

小規模な栽培者だけでは困難な醸造、瓶詰、流通、需給の問題を解決するのが
ネゴシアン、酒商と呼ばれる人たち。
彼らはブルゴーニュの各地区や各村に自分の小さなぶどう園を分割所有して、
自ら直接ワインの生産に携わりながら、
他の小規模栽培者からワインを買い足して、
自分のワインとブレンドしたものを売ることを主な仕事としています。
小さな規模の畑とはいえ、
生産者によって様々な表情を見せるワインを吟味して集め、
より良い品質にブレンドしていく、とても難しい職業と言えますよね。
ですから、ブルゴーニュワインはその原産地だけで判断するのではなく、
ブレンド、瓶詰めしたネゴシアンの名前でも判断します。

と、歴史のおはなしとはずれてきましたね。
ナポレオンの時代には、ワインはさらにフランス人の生活の中に入り込んでいきます。
また、品質もどんどん向上していった時期でもありました。

ですが、試練が訪れます。
19世紀後半に、ぶどうの木に病気が流行るんです。
それも三度も続けて。

これは大変なダメージでした。
1855年のウドンコ病。
1863年〜19世紀末まで続いた害虫被害。
1878年〜1880年のベド病。

最初のウドンコ病と、最後のベド病は、硫黄やボルドー液が特効薬で、
わりとすぐに被害はおさまりました。
厄介なのは、二番目の害虫被害。
「 フィロクセラ・ウァスタトリクス phylloxera uastatrix 」
アメリカ産のぶどうの苗に付着してやってきました。
始めにボルドー地区で猛威を振るい、
ヨーロッパ中のぶどう畑を襲いました!

「枯れた葉」という意味の名前が示すとおり、
ひとたびぶどうの木につくと、葉っぱをチリチリに巻き上がった褐色のものに変えてしまいます。

色んな対策が施されました。
冬の間は根っこの付近で冬眠するという性質に目をつけ、
水責めにする冠水農法というのがラングドック地方で実施され、
砂地でぶどうの木を育てるというのも、ルーション地方で行われました。

どれも決定打はなかったのですが、
最終的には、この虫に対して免疫を持っているアメリカ原産種に、
フランス産の樹を接木するという方法がとられたというわけです。
これには莫大な費用と労力と時間を要し、被害は大変なものになったんですね。

この結果、大きな傷を負いながらも復興への道を歩みだしたフランスワイン。
しかし、イル=ドゥ=フランスなどの消えていったぶどう栽培地があったことも、
忘れてはならない事実です。

ここからはかなり近代、現代に近づいてきましたね。
それはまた今度のお話にしようと思います。


グルメランキングです。
posted by koji at 17:07| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | お酒のお話 ワイン集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/12697791

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。